つい最近まで将棋のしの字も知らない人間でしたが、ここ2年ほどの間にルールを覚え、将棋界のことを学び、コンピューター相手に将棋を指し、藤井竜王のタイトル戦をAbemaで欠かさず見るようになりました。この歳で全くノーマークだったジャンルに足を踏み入れることになるとは思わなかった。
きっかけは漫画「将棋の渡辺くん」との出会いです。
この漫画の主人公は棋士の渡辺明名人。作者は渡辺名人の妻である伊奈めぐみさんです。主に以下の2つのテーマについて、1話完結の形で描かれています。
- 将棋界について(ルール、慣例、棋士の人柄など)
- 渡辺名人について(棋士としての人柄、普段の人柄)
1つの話がコンパクトに纏まっており、テンポよく読めるため、もう何度読み返したか分かりません。繰り返し読むうちに、将棋のことが好きになり、渡辺名人のことが好きになり、そして名人の周りの人達のことも好きになる。
将棋界について
将棋のルール
初歩中の初歩であるルールにも触れることで決して初心者を見捨てない姿勢、とてもありがたいです。特に、一般的に使われている語源が将棋用語の言葉について、その意味の違いを比較しながら説明している3巻35話や、初心者である担当さんと渡辺名人の対局を通じて将棋のコツを説明している5巻36話がとても参考になりました。
将棋界の慣例
プロの「棋士」とは何者か、「タイトル」とは何なのか、そもそもこの文章内で「渡辺名人」「藤井竜王」という呼び方をしているのは何故なのか。将棋の世界のことはこの漫画にすべて教わったと言っても過言ではありません。
特に、渡辺名人の和服を手掛ける白滝呉服店さんへ取材した5巻30話や、コロナ禍でのタイトル戦の在り方や渡辺名人のマスク選びを描いた6巻1話が好きです。
棋士の人柄
作中に登場した棋士の先生方を解説等で見かけると、「渡辺くんの漫画で見た!」と(進研ゼミのように)嬉しくなります。特定の1人を1話まるごと使って紹介している場合もあり、特に渡辺名人との親交が深い方々を描いた3巻11話(佐藤天彦さん)、4巻47話(戸部誠さん(のお父さん))、6巻33話(竹部さゆりさん)が面白かったです。
渡辺名人について
棋士としての人柄
この漫画の特長の1つとして、家庭内インタビューにより、公式とは別の角度から渡辺名人の将棋に対する考え方を知ることができる点があります。その時々でタイムリーな話題を扱えるところも強い。最近の内容では、藤井竜王との今後の戦い方を考える6巻2話や、渡辺名人の誕生を機に「名人」のタイトルを取るまでの道のりを描いた6巻3話を興味深く読みました。
普段の人柄
棋士として表舞台に立つ姿からは想像できませんが、渡辺名人はぬいぐるみ好きとして知られています。名人の「ぬい」への愛情とこだわりを垣間見ることのできる話の中で、私がとくに好きなものは以下の5話です。
- 1巻14話→実家で飼っている犬の話。
- 2巻45話→ぬいとゆるキャラの違いについて。僭越ながら私も同意見なので嬉しい。
- 2巻57話→アマチュア将棋大会の賞品としてぬいぐるみを選ぶ話。
- 3巻42話→蓼科テディベア美術館を訪れた話。商品のぬいぐるみと会話する様子が微笑ましい。
- 5巻41話→ぬいを買う場所とおすすめのメーカーについて。渡辺家のぬいのセンター的存在であるシロちゃんたちは既に廃盤とのこと。
観察者としての作者・伊奈めぐみさん
ここまでは一般的な目線による「将棋の渡辺くん」の良さについて書きましたが、この先は私個人としての感想です。
私が「将棋の渡辺くん」を好きな理由として1番大きな部分は、作者の伊奈さんが渡辺名人を見つめる距離感の絶妙さです。把握出来ていないだけかもしれませんが、この作品のような「妻が著名人である夫について描く」漫画は有りそうでなかなか無い気がします。有名な立場の方ならばどんな分野でもイメージが大事となるため、その点を損なわないように描くのは(炎上しやすい今の時代は特に)とても難しい。
夫の仕事に介入しすぎてもいけないし、無知すぎてもいけない。作品内で誉めすぎてもいけないし、貶しすぎてもいけない。自分が出すぎてもいけないし、出なさすぎてもつまらない。このバランスの絶妙さこそが、「将棋の渡辺くん」が皆から愛される理由なのではないかなと感じています。
また、伊奈さんのインタビューが掲載されたこの記事がとても好きです。
伊奈さんが渡辺名人に向ける目線は、ある程度離れた距離から双眼鏡で見つめているような、観察者としての目線に近いものかと思います。この絶妙な距離感で描いた作品だからこそ、読んでいてとても心地よさを感じるのかもしれません。
最後に、私の1番好きな6巻17話を引用します。競馬好きな渡辺名人が、馬主になりたいと伊奈さんのところへ相談に来る話です。
「生活費さえ確保してくれれば良いよ」
「…周りに何か言われるかな…?」
「君が努力して稼いだお金なんだから 君が好きに使えば良い」
伊奈めぐみ「将棋の渡辺くん」6巻17話
この後に続くオチも好き。
【おまけ】藤井聡太竜王登場回まとめ
「君はこの漫画では主人公だけど将棋界ではいつも引き立て役だよね」
伊奈めぐみ「将棋の渡辺くん」6巻2話
特に注目を集める藤井竜王との対局後は、どのような状況でなぜ負けてしまったのかという素人には理解し難い上に記者の方々も聞きづらいと思われる部分について、渡辺名人の分析を分かりやすい例えで表現し漫画に落とし込んだ物凄く読み応えのある回が登場するため、毎回とても楽しみにしています。
- 5巻17話(朝日杯)→初対戦の感想。対局後の打ち上げの話も貴重です。
- 6巻2話(棋聖戦)→上に引用した台詞のコマが大好きです。第1局から第4局までの戦況をまとめた1ページが分かりやすい。
- 6巻22話(朝日杯)→伊奈さんの立場でなければ出来ない「国民的ヒーローの切られ役」という表現が好き。どこから弾が来るか分からない、という例えを可視化した絵がかわいい。
- 6巻36話(棋聖戦)→「万年敗者のばいきんまん視点」で語られるいつもの勝ちパターンが通用しない理由について、三匹の子豚に例えて説明されており分かりやすいうえにかわいい。
また、今後7巻1話に収録されるであろう2022年5月号では、王将戦で感じた藤井竜王の凄さについて触れられており必見です。藤井お釈迦様の「ぱ―—―—(以下略)」が恐ろしい。
↓ この「特別編」の後ろの方に「ぱ―—―—(以下略)」が収録されています。アイビーの話やマッサージガンの話なども無料で読めて、豪華すぎる傑作選。
↓ 好きすぎるあまりこちらにも書かせていただきました。