江神二郎(20代後半の大学生)が探偵役となり、英都大学推理小説研究会(EMC)の愉快な後輩たちと共に事件に巻き込まれる江神二郎(学生アリス)シリーズが大好きです。
穏やかでミステリアスなお兄さんである江神さんは勿論のこと、4人の後輩たち(モチ、信長、アリス、マリア)も含めた全員が魅力的なキャラクターであり、彼らの掛け合いや推理合戦を延々とただひたすら聞いていたい。直球の本格ミステリである長編、日常の謎を通してEMCの大学生活を微笑ましく垣間見ることのできる短編、それぞれに良さがあります。
長編4作については時系列順に刊行されていますが、短編は現時点で短編集にまとめられていないものもあり、時系列がやや分かりにくいため、現行の全作品を作中の時間の流れに沿って以下に並べます。
- ①〜④→長編
- ☆→短編(「江神二郎の洞察」に収録)
- ★→短編( シリーズ短編集未収録 )
【EMCの愉快な仲間たち】
- 江神二郎(部長)
- 望月周平(モチ)
- 織田光次郎(信長)
- 有栖川有栖(アリス)
- 有馬麻里亜(マリア)
1988年(アリス1回生)
瑠璃荘事件☆5月
「うちにくるか?」
有栖川有栖『瑠璃荘事件』より
望月が下宿する瑠璃荘で、講義ノートの盗難事件が発生した。犯行時刻のアリバイが無く、犯人扱いされる望月。彼の身の潔白を証明するため、EMCの面々が立ち上がる。
物語の語り手である「僕」=アリスが、EMCに所属して初めての事件。まるで漫才のような望月・織田コンビのやりとりを横目に、穏やかに謎を解く江神さん。入学したての1年生を迎える先輩方がとても暖かく、癒される。
事件の舞台として、今では珍しい「下宿」が登場します。共用トイレがアリバイの鍵になっていたりと、当時の大学生の暮らしぶりがとても興味深い。
ハードロック・ラバーズ・オンリー☆6月
学生会館のラウンジで土曜日の午後だというのに予定がないことをぼやいていたら、「河原町にでも出るか」と付き合ってくれたのだ。
有栖川有栖『ハードロック・ラバーズ・オンリー』より
行きつけのロック喫茶で顔見知りとなった女性に雑踏の中で声を掛けるも、無視されてしまうアリス。一体何故なのか?
京都の河原町を歩く間に始まって終わる、シンプルでコンパクトながら余韻が美しい短編。ちなみに、作中で江神さんが出す結論の答え合わせが、後の『除夜を歩く』に登場する。
やけた線路の上の死体☆7月
僕は話を終えてひと息つき、煙草をくわえた江神さんを尊敬の念を込めて見ていた。
有栖川有栖『やけた線路の上の死体』より
望月が生まれ育った南紀白浜を訪れたEMC。隣人の新聞記者を通じて地元で起こった殺人事件を知り、その真相解明に乗り出すことになる。
海辺の街のノスタルジックな雰囲気がとても良い。作中には美人な望月母も登場。ミステリアスな江神さんとは対象的に、この時点で既に下宿の部屋から実家まで晒されているモチさん。親しみしか湧かない。
月光ゲーム①
「これだけ大勢の人間が首をひねって解読できんようなメッセージはとんでもない欠陥品や。」
有栖川有栖『月光ゲーム』より
長編第1作目。矢吹山でキャンプをするEMCの4人。しかし、突然の噴火により、総勢17名の大学生が集まったキャンプ場は陸の孤島となる。身の危険が迫る中、閉ざされた空間で連続殺人事件が発生する。
噴火により発生したクローズドサークル。極限状態の中、被害者も加害者も大学生同士という痛ましい事件。
現場に残されたマッチの燃え滓から、犯人を指摘する江神さん。容疑者を2人まで絞り込み、そのうちの1人が衝撃的な退場をする場面は背筋がひやりとする。
大学生が17名。登場人物を覚えるのが大変だが、そのことも伏線のひとつとなっている。
桜川のオフィーリア☆9月
「きれいとしか言いようがありません」
どの写真も、驚くほど美しかった。
有栖川有栖『桜川のオフィーリア』より
江神さんの友人で、EMCの創設者の一人である石黒操が訪ねて来た。旧友の急病のため彼の自宅を整理していたところ、高校時代に地元の川で亡くなった同級生女子の遺体写真が出てきたという。
あらすじだけ聞くと物騒ですが、情景描写が美しく、とても情緒的。結末も含めて大好きな作品です。相談者が悩みに悩んでいる一方、第三者の立場で話を聞いた、探偵役の江神さんやEMCの面々があっさりと謎を解くところも見どころの1つ。
ちなみに、亡くなった宮野の家族が移住を予定していた宗教の街・神倉は、長編第4作目『女王国の城』の舞台となります。
四分間では短すぎる☆10月
「このおにぎりは、どこにでもあるもんやない。食欲旺盛な後輩のために江神さんが階下の厨房を借りてお作りになったもんや。めったに口にできんわ」
有栖川有栖『四分間では短すぎる』より
京都駅の公衆電話で、アリスが偶然耳にした「四分間しかないので急いで。靴も忘れずに。……いや……Aから先です」という隣の男の発言。この発言の意図について、EMCの面々が江神さんの下宿でだらだらと過ごしながら推察する。
皆で飲み食いしながらああでもないこうでもないと持論を述べていく様子が面白い。個人的には、松本清張の『点と線』について望月・織田コンビが意見をぶつけ合う章も好きです。
開かずの間の怪☆11月
江神さんは、いつになく狼狽をにじませた口調で後輩たちに尋ねた。
「どういうことや。グルになって俺を嵌めようとしてるのか?」
有栖川有栖『開かずの間の怪』より
廃病院にある開かずの間を調査しに行く4人。体調不良で織田が離脱した直後、建物内で怪奇現象が発生する。残された3人は織田の犯行であると断定し、彼がどのようなトリックを使ったのか解明に乗り出す。
貴重な怪談風の物語。冒頭には南禅寺周辺にある信長さんの下宿が登場。立地が良すぎて羨ましい。
二十世紀的誘拐☆12月
「ろくに景色を見る間もなかった。初めて上ったのに」
日本海に面した宮津市出身とはいえ、この人だけは京都人だった。
有栖川有栖『二十世紀的誘拐』より
望月・織田コンビが所属するゼミの酒巻教授に頼まれ、誘拐された絵の身代金を運ぶことになった4人。その身代金は1,000円で、犯人は教授の弟。彼は何を目的としているのか?
身代金を運ぶため、京都駅烏丸口周辺を行き来するEMCの面々。指示されて上った京都タワーも含め、この界隈の土地勘があると更に楽しめる。
除夜を歩く☆12月
河原町通に出る手前に煙草屋があったので、江神さんはその店先の吸い殻入れに煙草を捨てた。そうなるようにタイミングを見計らって吸い始めたのだろう。こういう人だから、留年を繰り返すのも何らかの計画に基づいているのに違いない。
有栖川有栖『除夜を歩く』より
昭和最後の大晦日を、江神さんと2人で過ごすことにしたアリス。江神さんの下宿から八坂神社までの道中、2人は寒空の下でとりとめのない話をする。
天皇陛下が危篤状態の中で迎える、恐らく昭和最後の大晦日。八坂神社までの道中が賑わう、京都の大晦日。そしてミステリアスな先輩と2人で過ごす、特別な大晦日。非日常感が溢れる中で、2人の会話がどこまでも日常的であるというギャップが良い。
雑談の中に登場した「次の元号の頭文字となるアルファベットに賭けるとしたらどれが良いか」という話が個人的に好きで、改元の際には心の中でKに賭けていたが、まさかの大穴・Rだった。
1989年(アリス2回生)
蕩尽に関する一考察☆4月
僕の傍らで、赤い髪の女の子はぽつりと言った。
「……名探偵が、悲劇を未然に防いだのね」
有栖川有栖『蕩尽に関する一考察』より
最近、大学近くの古本屋店主の様子がおかしいとの噂が広まっている。本を破格で売り払ったり、代金を取らずに本を譲る行為を繰り返す彼には、一体どのような意図があるのか?
アリスの友人・マリアがEMCに加入する話。紅一点の彼女だが、他の4人に負けず劣らずのミステリ好き。ちなみに、マリアが所持していた絶版本「ナイン・テイラーズ」は、現在だと容易に入手できる。
老紳士は何故…?★6月
「ええ、弟のアリスと妹のマリア。私は長男でポールといいます」
有栖川有栖『老紳士は何故…?』より
マリアのアルバイト先である河原町の書店に、毎週土曜に訪れる老紳士。彼は必ず、千円札を五十円玉二十枚に両替するよう求めるのだが、一体何の目的があるのか?
老紳士を尾行する5人がとても愉快。四条河原町の交差点でクラクションを鳴らされるアリスとマリア。そして高島屋の入り口を手分けして見張る5人。この話も河原町周辺の土地勘があると更に面白い。
余談ですが、江神さんの全ての台詞の中で最も好きなものを選べと言われたら、上の引用文を選ぶと思う。
古都パズル★6月
「可愛いもんな」
誰もいなくなった教室で呟いてから、可愛いだけやないよ、と声に出さず思う。自分もまだ、彼女について大して知りもしないのに。
有栖川有栖『古都パズル』より
望月お手製の暗号文を解くことになったEMCの面々。京都の街にちなんだ暗号の意味を懸命に考える信長・アリス・マリアを尻目に、江神さんは出題者の一瞬の動作を頼りに宝物を見つけ出してしまう。
5人でランチを食べたり、京都の地図を見ながら謎を解いたりと、賑やかで楽しい大学生活の雰囲気がとても心地良い。また、今作以降は語り手のアリスの視点から溢れ出てくるマリアへの想いにも注目。アリスもマリアも可愛すぎて困る。
孤島パズル②
マリアはゆっくりと立ち上がってようやく僕の目を見た。
「アリス。私をボートに乗せて」
有栖川有栖『孤島パズル』より
長編第2作目。有馬家の別荘がある嘉敷島へやって来たアリス、マリア、そして江神さん。何者かによって通信手段を断たれ、迎えの船も来ない中、島の中で連続殺人事件が発生する。
島に3+1台しかない自転車のアリバイと、その車輪に轢かれた跡のある地図。少ない証拠から論理的に推理を組み立て、たった1人の犯人を導き出した江神さん。その淡々とした凄みは、他の探偵にはない個性だと思う。
被害者も加害者もマリアの親戚や長年の知人であり、彼女も相当な心の傷を負うことになる。この出来事が、次の長編『双頭の悪魔』へ繋がっていきます。
双頭の悪魔③
「でも、どんな理由にしても七つ違いの江神さんが同じ時期に英都大学にいてくれてよかった。私はそう思ってます」
有栖川有栖『双頭の悪魔』より
長編第3作目。孤立した芸術家の集落・木更村から帰ってこなくなったマリア。彼女を連れ戻すため、EMCの4人は隣村である夏森村から様子を伺うが、江神さんだけが木更村への侵入に成功する。マリアを連れ出そうとした矢先、木更村・夏森村の両方で殺人事件が発生し、2つの村を繋ぐ唯一の橋も落ちてしまう。
突然迷い込んだ場所でもマリアを助手とし、証拠を集めて犯人を導き出す江神さん。一方で、江神さん不在の中、夏森村の事件を解決しようと奮闘する3人。どちらも論理のみで犯人を特定した後、最後に動機によって2つの村が結びつく流れがとても綺麗で、段階を踏むごとに三度も読者への挑戦が入る構成も豪華。
2つの村で物語が同時進行するため、語り手がアリスとマリアの2名体制である点も見どころ。アリスのパート、最後の心の声がとても好きです。
女か猫か★11月
――君を前にして、君自身のことならいざ知らず、他の女の子の悩みに興味が湧くはずがないやろう。
有栖川有栖『女か猫か』より
女子学生3人組バンド・アーカムハウスとその作詞を担当する男子学生・三津木。4人での飲み会の最中、1人で離れの密室に残った三津木だが、翌朝、頬には大きな傷が。誰がどのように付けたのか?
マリアの友人であるバンドメンバー・シーナちゃんを救うため、江神さんに助けを求めるアリスとマリア。彼女のファンであるという理由で、望月・織田コンビが蚊帳の外に置かれているのが可笑しい。
江神さんの下宿を訪ねるシーンや、ラストの文化祭シーンなど見どころは多いが、冒頭の学食の場面で、マリア以外の女の子の悩みに今ひとつ興味を持てないアリスがとても可愛い。
推理研VSパズル研★12月
叫ぶ者あり、のけぞる者あり、息を呑む者あり。僕は、江神さんの顔をまじまじと見つめた。冗談を言っているのでないことを確かめるために。
有栖川有栖『推理研VSパズル研』より
望月・織田コンビが居酒屋で隣り合ったパズル同好会から論理パズルを出題される。EMCに持ち込まれたそのパズル自体は江神さんにより瞬時に解かれる。では、論理パズルによくある謎の村とは一体何なのか?EMCの面々は「推理研らしい」回答を探し求める。
論理パズルの「場面設定」について考える斬新な切り口の物語。EMCの面々がああでもないこうでもないと議論する様子が楽しい。
冒頭、新京極の居酒屋チェーン店で望月・織田コンビがパズル同好会と鉢合わせる場面は、漫才コンビの阿吽の呼吸を感じる上に、いつも以上に大学生の日常を覗き見している感じがする。
1990年(アリス3回生)
望月周平の秘かな旅★4月
私の大学生活はもう、四つある角のうちの三つを曲がって冬へと進んでいるのだ。
有栖川有栖『望月周平の秘かな旅』より
就職活動を目前に失恋をしてしまい、何事にも身が入らない望月。大学生協の書籍部で、補充の早すぎる本の謎についてEMCの面々と議論をするうちに、彼はあることを思いつき、寝台列車で旅に出ることにした。
モチさんの失恋旅行が描かれた当作。失恋の痛みと、モラトリアムの終わりが近づくことへの不安が入り混じる中、更に旅情も加わるため、感情が揺さぶられすぎて追いつかない。
大学生活を春夏秋冬に例えるならば、大学4年生の4月は冬の入り口だ、という冒頭の文章が好きです。初読の時よりも、実際に大学4年生になったときにより言葉の重みを感じた。
女王国の城④
名前を呼びながら、僕たちは急な階段を駈け下りる。先頭はお嬢さんだ。江神さんは動かず、僕たちが突進してくるのを、ただじっと見ている。化石になってしまったかのように。
有栖川有栖『女王国の城』より
長編第4作目。宗教団体「人類協会」の本部がある神倉に向かったまま帰らない江神さんを連れ戻すため、現地へ向かうEMCの後輩たち。協会の本部内で無事に対面は出来たものの、何かを隠す江神さん。その最中、施設内で殺人事件が発生するが、協会側は何故か警察への通報を拒む。協会の不手際を責めるうちに、第2、第3の殺人が起きてしまう。
クローズドサークルとなった施設内で起こった連続殺人事件。江神さんが論理によって犯人となる条件を導き出し、消去法で1人に絞り込んでいく過程は何度読んでも鳥肌が立つ。関係者全員を集めて行う謎解きである点も含め、個人的に最も好きな作品です。
また、連続殺人事件とは別件で、協会と江神さんのそれぞれがとあるカードを隠し持っており、その内容が最後まで明かされないことがもどかしい。しかし、全てが繋がった瞬間の驚きと感動はそのぶん大きい。2冊組の長編だが、起こる出来事の全てが伏線ではないかと思うほどの濃い作品。
EMCの後輩たちが皆、江神さんのことを好きで好きで堪らないことが伝わり、微笑ましい気持ちになる。そして、読者もきっと思うだろう。江神さんの後輩になりたい、と。
番外編
蒼ざめた星
この作品は、デビュー以来、東京創元社からぽつりぽつりと発表している江神二郎シリーズの一編なのだが、正規の作品として扱うつもりはない。
有栖川有栖『本格ミステリの王国』より
エッセイ集『本格ミステリの王国』に掲載されている、有栖川先生が同志社大学推理小説研究会の合宿中に執筆した犯人当て小説。正規の作品ではないが、Wikipediaがシリーズとして扱っているため 登場人物がEMCのメンバーであるため、番外編とした。手書き原稿のまま掲載されているという点でも珍しい作品。